☆『今年も師走を迎えるにあたって.....』

   先月11月には54年振りの積雪が関東地方にあり、今年の冬は厳しいかな、と思われたのですがその後は落ち着きを取り戻し、穏やかな年の瀬を迎えようとしています。 気候は穏やかですが、世界の世相はそれに反して雲行きが怪しくなってきています。米国のトランプ大統領の予想外の当選、イタリアに象徴される極右政党の台頭や韓国政治の混乱等々日本を取り巻く世情は決して楽観視できません。米国の政治の動揺を見ると、これは資本主義や民主主義の終焉の兆しではないか、とも思えてなりません。中学時代に習った民主主義の象徴は「最大多数の最大幸福」であり多くの国民がその選択により、よりよい暮らしを目指せたのは間違い有りません。しかしこの「多数決」が理不尽になってきていることです。現状に不満を持った人々が多数を占めてきている場合、全体の多数決は、不満分子の意見や思想が選択されその方向に決定されてしまうことです。そこには理性も常識も入り込めない「多数決」の意見に左右されていく、というカジがきられていくことです。その一番の原因は貧富の差の拡大にあるのではないでしょうか。大多数が理性もあり、常識もある限り心配はないのでしょうが、逆にその大多数が理性を失い自己中心であったら。まことにこれからの選択は難しくなり、何が正しく、未来はそれで良いのか、と考えさせられます。それを思う時、思い出されるのが、アメリカンドリームの一つ「西部開拓史」の映画でジョンウェインが輝いていた頃です。何もないところに道を造り、鉄道を敷き、街造りをしていく爽快さをもう一度、と叫びたいところです。その一つとして安倍総理が米国を隣町に行くように訪問し、世界を飛び回っている様子には爽快さを感じます。

さて今、瞑想がブームになっています。各地で「瞑想入門」とか「瞑想トレーニング」とか様々なイベントが開催されています。書店でも「瞑想コーナー」と言われるぐらいそれに関する書籍も増えてきています。科学や医療の世界にも「瞑想効果」が評価され認識されてきています。日本の文化に根ざされた仏教の中の一派に禅宗があります。そこでは「座禅」が修行の基本とされており、その効果は今のブームの瞑想と同一なるものでもあります。その同門一派で福井県永平寺を本山とする曹洞宗の開祖道元は、『只管打坐(しかんたざ)』と説かれ、ただ座るのみ、その心が無であり、目的である、となにやら難しい説法をしています。現代の情報社会にあって、溢れる情報を飽きもせずスマホ等で閲覧している姿は遠目で観ると滑稽でもあります。電車の中では殆どの人が、またレストランでは恋人同士が会話もせずにスマホ、最悪は運転中でも(これは違反です)と、敢えて情報過多の中に流されている現状はもはや異常としか思えません。心したいものです。

これらを打破したいときは、師走恒例の除夜の鐘の音の一つ、一つに同調して、じゅっくりと自分を見つめることが良い機会にもなります。若手のお坊さんで最近ベストセラーとなっている小池龍之介さんの「考えない練習」は参考になりました。東大出でありながら波瀾万丈の人生の後、出家し仏門に入った異色の坊さんです。この”考えない”ことはとても大事な思考と謂われています。人間の日々生活の中で考える思考の中で、90%はまったく不用(無駄)の事を考えていると。臨済宗白隠禅師の顕したお経「坐禅和讃」にも「無念の念を念としてうたうも舞うも法(のり)の声」との句がありますが、まさに同意となっています。とりとめのない話になりましたが、年の暮れにあたり日頃感じたままを述べさせて戴きました。

前々号で年齢の話を致しましたが、誰でもが考え方一つで自分の年齢を決められることは楽しいですよね。歳を忘れ、趣味に興じて始めた絵画とドラムは、珍しく続いています。先日はドラム教室での発表会(写真)があり、家族参観(妻)で小学校の頃味わったドキドキ感で叩いてきました。

今年一年間のご愛顧に対しまして、社員一同厚く御礼申し上げます。
新しい年の皆様の事業のご繁栄とご家族様のご多幸を祈念致します。

合掌